アーカムのとある馬小屋で見たチラシの裏

筆者shibkiが興味、関心、好奇心の赴くままにチラ裏情報を書き綴ります。

下げる人

こんばんは、shibkiです。

深い夜にも関わらず寝付けない。そんな時はブログを書くのが一番。

今日のテーマは『下げる人』です。

 

これはかなり思い当たる人がいるのではないかな。何を下げるって評価と価値です。

仕事や交友関係なんかだと見えやすい問題ですよね。俗に言うマウンティングなんかはこれに近いです。

 

不当に人の人格や能力を下げて評価し、周りの人に発信する。もちろんそういう人は誰のことでも誰にでも言います。

その心は?競争心が高いから?それは半分正解で半分間違い。競争心は必ずしも負の感情が動機とは限りません。『下げる人』には悪意があります。もちろんリターンを求めての悪事です。

では人の評価を不当に下げることで何を得るのか?自信と地位です。

自分が優れた個体であると証明するにはやはり比較する個体が必要になります。基本的に勝てば負けないという単純な思考から無理矢理勝ちを演出する必要が出てきます。

正面から正々堂々と能力で比べてしまうと負けてしまう可能性が浮上します。これでは自分の尊厳と自信を喪失してしまう。なら戦わずに勝てばいい。

欲こそ人並み以上に持っているものの、実力が伴わない者に多く見られる心理です。実力が伴わない状態でそれまでの人生を生きてきたわけですから人並みに以上に尊厳と自信を喪失しています。そしてその反動から理想的な自分を求め、そのために評価を得ようとします。

ある種の防衛本能だとは思いますが人を傷つけるという手法に出た時点で立派な攻撃です。このようなタイプは大抵自分よりも劣った取り巻きを欲します。常に小馬鹿にしてくるわりに妙に執着を見せます。

 

これからも一生自分よりも馬鹿であってほしい。そしてこれからも一生自分を慕い、取り巻いていてほしい。そうでなければ自信を喪失してしまいかねない。

 

個人の欲のために他者をおとしめる者の典型ですね。前に書いた得を追い、損を与える人格はこうして生まれます。態度は横柄だけど精神弱者でいつも何かを恐れています。大抵は自分よりも能力や地位、評価が高い人間を恐れます。恐いからこそ、恐くない状態にしてやる必要があります。自分を脅かす存在になれないようにしてやればいいのです。

 

認めることは敗北と同義。良い部分には目をつむり、悪い部分を探します。粗探しは得意分野です。相手の自信を喪失させうるほどの情報に飢えています。こうした人格は大抵噂話が大好きです。根拠などなくとも自分の都合さえ満たせれば嘘を真実とすることにためらいはありません。

噂話から得るものは人の価値を低め、かつ自身の価値を高めてくれる情報です。そこに根拠や証拠はいりません。ただ都合を満たせればいいのです。また、評価を不当な方法で手に入れる人は正当な方法で手に入れている人を恐れ、煙たがります。自身の取り巻き、身内であろうと周囲から評価されようものなら奪い去ります。

鋼の錬金術師という漫画を見たことがある人はこのフレーズを思い出してみてください。

 

「人は何かの犠牲なしに、何も得ることはできない」

 

作中ではこれを等価交換の法則として説明していました。等価かどうかは計れませんが、現実世界も同じような法則に基づいていると思います。

人間という生き物はまず、心理学者アブラハム・マズロー博士の提唱する自己実現理論、欲求5段階説に則り、ピラミッド最下層である第一の欲求【生理的欲求】を満たすところから始まります。

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出典Wikipedia

食べたい、飲みたい、排泄したい、着たい、寒さから身を守りたい…etc.

こうした生物的、生理的な欲求は現在の日本では【お金】を手に入れることでほとんど解決します。即ち働くことで手に入れます。

これが満たされると次は第二欲求【安全の欲求】を求めます。身体を健康な状態にしたい、経済的な保障、生活水準の安定、事故の防止などなど…

これも物質的な欲求なので、日本の場合大抵は働くことで解決します。ただし、満たされたと感じる水準には個人差があるのでやや難しくなります。そしてこれが満たされたところから始まるのが…第三欲求【社会的欲求/愛と所属の欲求】です。

これは物質的なものを求めているわけではないので精神欲求と呼ばれます。個ではなく集団に身を置きたい、コミュニティを持ちたい、恋人が欲しい、友達が欲しい…

人間はこのあたりから人間とその気持ちを求めます。これはコミュニケーションスキルにもよりますが、多くの場合働くこと、飲み会や遊ぶこと、簡単に言えば会話をすることでで手に入ると思います。その他、趣味や興味の共感。または苦楽の共有など。

 

そしてこれが満たされると次は第四欲求【承認(尊重)欲求】を求めます。

 

これがとても難しく、第三欲求で求め、手に入れた集団への所属だけでは満足できなくなり集団の中での自己を確立するという欲求に駆られます。簡単な例としてはTwitterFacebookなどのSNSで自分のライフスタイルやセンスを人に認めてもらいたい、尊重されたいという思いから発信している人。SNSの利用目的の大半はこれに属すると考えます。

承認欲求の度合いは個人差があり、認めてもらえるだけで良いとするものから一番でなくてはならないとするものまで様々です。これが『下げる人』のいる階層となります。

そして鋼の錬金術師のあのフレーズを思い出してみましょう。

 

「人は何かの犠牲なしに、何も得ることはできない」

 

これをマズロー博士の欲求ピラミッドに当てはめて考えてみます。

第一欲求【生理的欲求】は【お金】という代価を必要とします。お金を稼ぐには働く=エネルギーの消費が必要と言えます。

第二欲求【安全の欲求】も【お金】という代価を必要とします。これは先程のものよりも高度な欲求になるため、よりお金が必要になります。ということは更なるエネルギーの消費が必要と言え、これが代価になります。

第三欲求【社会的欲求/愛と所属の欲求】は集団への参加、一定のコミュニケーションスキルと【協調性】自分のみではなく他人へのエネルギー消費も必要になってきます。代価は他者へのエネルギー。

第四欲求【承認(尊重)欲求】人に認められるために行う行為、それに使うエネルギーが代価と言えます。SNSは手軽にそれを行うことができるツールではあるものの、センスを磨くことや写真、記事の内容に凝ることは時間とエネルギーを消費します。それだけ他者を認めさせるのは難しいということ。

では集団の中で一番、または人に頼られる存在になることが欲求となってしまった場合には何を代価に差し出す必要が出てくるのか。ファッションセンスにかける時間やエネルギーでは足りなくなってきます。人に認められるどころか頼られる存在になるというのはその人達に出来ないことを達成し、評価を得る必要があります。

同じ人間である以上、余程優れた実力を伴わない限り自分にしか達成できない、解決できない問題を見つけるというのは難しい。実力者はこれを欲求以前に知らず知らず解決していることがほとんどで、勝手に評価がついてきます。評価がついてくるということは人も同様についてきます。

では実力が伴わない人が人や評価を手に入れるにはどうするのか?

 

他人の評価にアンテナを張り、他人の評価を自分よりも『下げる』ことで自分の評価を擬似的に上げるという選択を取らざるを得ません。

 

問題解決にはエネルギーと実力、そして人のために自分を犠牲にする必要がでてくる場合もあります。

優秀な人は何の見返りもなく、そのエネルギーと実力、そして自分を代価に人の問題を解決します。人はその様に心を打たれ、認め、尊敬し、愛します。

あなたの周りにいる『下げる人』はそのうちいずれかの代価を払えずにいる人なのだと思います。払えないからこそ、下げるためにエネルギーと時間を使うのでしょう。

 

実力と自己犠牲は僅かな天からの贈り物と努力の結晶でできています。おいそれと簡単に手に入るものではないのです。そもそも代価を差し出す前にリターンを想像する人は信頼や評価を失うので頼られる人にはなり得ません。

 

評価を得るために実力を差し出し

信頼を得るために自分を差し出す

 

つまるところ、強すぎる承認欲求は実力もなく自己を犠牲にすることもできないような人がそもそも持つことなど許されない欲求なのです。『下げる人』は残念ながらどちらか片方もしくは両方欠いているのです。

なんだかやけに長文になって、しかも酷い文になってしまいましたが、この際私の言いたいことが半分でも伝わってくれれば十分です。笑

すごい簡単に言えばこうなるのです。

 

『下げる人』の心理

【人の上に立ちたいという欲求】

持たざる者は得ざる者。

持たざる者が得る場合、差し出す代価は評価と信頼。人、裏切らば得られない。

 

そして忘れてはならない。ピラミッドが5階層であることを…それについてはまたいつか。