アーカムのとある馬小屋で見たチラシの裏

筆者shibkiが興味、関心、好奇心の赴くままにチラ裏情報を書き綴ります。

得をしたい人

こんばんは、shibkiです。

今日はちょっと思いついたこと書きます。

テーマは『得をしたい人』です。

 

得をしたいという心理は人間であるならばあたりまえに皆が持っていると思います。しかしこの『得』を優先するがあまり、しばしば人間関係をこじらせたり、それが理由で孤独になったりと、そういった状況におかれている人を多く見かけます。

人生とは選択の連続です。もしその選択をした理由が『得をしたい』からという動機であった場合注意が必要です。

 

なぜなら周りにいる人が『損』をする可能性があるからです。

 

これが理由で人望がなくなり、コミュニティから排除されてしまう人を多く見てきました。今日もそういった現場を目撃したからこそ、この記事を書いています。

 

例をあげましょう。今日はあなたの誕生日。あなたは母親と一緒に久々の外食に出かけます。

この日は母親も奮発してあなたの大好きなお寿司を食べにきました。注文するなり運ばれてきた大トロは新鮮そのもの。霜の降った桃色の大トロに二人の気分は高まります。

店員が大トロを二皿、母親に手渡します。さてここからが問題です。

 

母親はその二つの皿の上をまじまじと見つめ、より大きく霜の降った大トロを吟味した上であなたに落選した方の大トロを手渡しました。

 

この時あなたはどんな気持ちになったでしょう。もちろん個人差はあります。別に普通のことじゃない?と思う方もいるでしょう。

私の場合は恥ずかしく思います。母親がお金を払っているから当然、とは思えません。人が見たらどう思うのか、少なくとも自分の子供なんだからこのくらいいいだろうという考えであってほしいとむしろ思います。他人には絶対何があってもしてほしくない行為です。金銭的な問題や生活水準とはまた違う問題です。今日はあなたの誕生日です。

 

母親が選択を誤ったとは言いません。しかし、隣にいるあなたはなんとなく損をした気分になることでしょう。人生とは選択の連続です。

これはささいで、正直忘れることなどたやすい種類のものですが次に同じような光景を目にした時、再び今の記憶が蘇ります。

僕の母親は、こういう時には自分を優先する。少しでも得な方を選んでしまう。

そのかわり、隣りの人は損をする。損をした人は母親をこれからも好きでいてくれるだろうか?

 

もちろんフィクションです。笑

ですがこれが大トロをめぐる選択であったからよかったものの、もし現金や高価な物、評価あるいは命や時間であったらどうでしょう。

大きく人の信頼に関わってくる問題となり得ます。こうした選択基準を持つ人の傍にいる人は、得の代償として損を与えられるため相対的に我慢を強いられることが多くなります。

そして割り切った付き合い方をとることで、精神を保とうと努力します。ただし、いざという時にはきっと大トロではすまない。そう思わざるを得ないと自覚します。

 

損を与える側は自己を優先するあまり、自分以外の人が損をしていることに気が付けず、相手に割り切った付き合い方をさせてしまい、いつの間にか孤独を感じるようになっていた。そういう人は割とたくさんいます。

「気は悪くないんだけどね」などと人に言われるようになってしまうとちょっとまずいかな、というより評価の部分でかなり損をしています。

心の貧しさは見る者に負の印象を抱かせます。もしもあなたの近くにこのような人がいるならば、きっとすでに割り切った考え方をしていることでしょう。

しかしあなたが割り切ったところで、その人の選択基準というのは変わりません。

 

その我慢は関係をよくしてくれますか?

 

自分が自己を優先しがちだと思った人はとてもラッキーです。だってこんなブログを見ただけでこれから振る舞いや考え方を変えることができるのですから。あなたはかしこい。大抵の人は自分は自己を優先しがちだなんて考えません。得をしたい人はあえて感情的に損する情報なんて聞き入れません。でも見る人が見ればわかります。得をしたいという思いが強ければ強いほど、貪欲であればあるほどに、劣等感が強いものです。何せ目の前の得にしか気が付けないほどの知能しかないのだから。人生、損することが多かったからこその思考とも言えます。選択をするという岐路に立った時、少し落ち着いて考えてみてください。

 

その選択は想定される損を知ってもなお選択するに値しますか?